シリア難民危機を考えるブログ

シリア難民に関する情報を集約していきます。難民問題と切り離せないシリアや中東情勢についても検証します。

安倍首相、難民受け入れよりも女性と高齢者の活躍

シリアの難民問題に関して、国連の一般討論演説でシリアやイラクなどへの資金協力を表明した安倍首相ですが、その後の記者会見の中でのロイター記者で、難民受け入れよりも女性と高齢者の活躍を優先と捉えられるような返答をしたことが取り上げられています。

www.huffingtonpost.jp

イギリスのガーディアン紙では「Japan says it must look after its own before allowing in Syrian refugees」として、日本がシリア人難民を受け入れよりも国内問題に配慮しているとの見出しを掲載しています。

実際のやり取りが首相官邸のホームページで公開されています。

ロイター記者のブラントロム氏の質問「また、シリアの難民については、日本は新しいお金をイラクにも出すとのことだが、日本が難民を受け入れるという可能性についてはどう考えるか。」

そして、今回の難民に対する対応の問題であります。これはまさに国際社会で連携して取り組まなければいけない課題であろうと思います。人口問題として申し上げれば、我々はいわば移民を受け入れるよりも前にやるべきことがあり、それは女性の活躍であり、あるいは高齢者の活躍であり、そして出生率を上げていくにはまだまだ打つべき手があるということでもあります。同時にこの難民の問題については、日本は日本としての責任を果たしていきたいと考えておりまして、それはまさに難民を生み出す土壌そのものを変えていくために、日本としては貢献をしていきたいと考えております。

この質問は、ブラントロム記者が安倍内閣の「新三本の矢」に関する質問に続いてなされたこともあり、その流れの中で「女性」「高齢者」を思わず引き合いに出してしまったような気もします。

しかし、安倍首相としては、今回の国連の一般討論演説で、国連安保理入りを強く主張していたわけですから、エゴイスティックな印象を与えかねない今回の発言は、国際社会の責任ある国家としての評価を大きく損なう結果を招いたことは間違いないでしょう。ヨーロッパと事情が異なるものの、シリア人難民受け入れの実績の低さ(2014年は3人)が指摘されている最中ということも考えると誠に大きな失点です。

首相は「同時にこの難民の問題については、日本は日本としての責任を果たしていきたいと考えておりまして、それはまさに難民を生み出す土壌そのものを変えていくために、日本としては貢献をしていきたいと考えております」と語っていますが、そもそも現時点で「難民を生み出す土壌」の改善をできていないわけで、いくら「これから頑張ります」と表明しても、それが免罪符にはならないのであります。

これまで憲法9条で集団的自衛権の行使ができなかったとはいえ、日本ほどの「大国」が、アメリカの同盟国として国際社会のパワーゲームに無関係でこられたわけでなく、その結果として表出した難民問題という結果に対して、どう貢献するのかが問われていると思うわけです。

この問題に関しては、佐々木俊尚氏もTwitterの中で「難民と移民を混同しているとしか思えない驚くべき答弁」として、首相の発言を紹介しています。

実はこの「難民」という概念自体、時代によってその実態と概念がずれてきていて、常に再定義のプロセスにあります。日本はこれまで、1951年の「難民の地位に関する条約」の条文を忠実に守り、紛争地からの避難民を難民として定義していませんでした

しかしこれは、時代状況の変化にそった解釈とは言いづらく、難民として保護を必要とする人たちの実態とは大きくかけ離れていることが指摘されてきました。法務省も9月、運用方針を見なおしてシリアなど紛争国からの避難民に「紛争待避機会」を提供する方針を表明したばかり

しかし、それでも難民の認定基準自体は変化することはないとされています。

いずれにしても、日本が国家として国際社会の中でどのような役割を果たしていくのか?そしてこれからの日本社会で外国人・日本人という関係性やアイデンティティをどのように捉えていくべきか?そうしたビジョンを明確に構築していかなければ、難民と移民の混同という根本的な理解不足はなかなかなくなっていかないでしょう。

当然、首相を批判する私たちも、難民や移民の実態を正しく理解しているとは言いがたく、むしろそうした話題を考えなくて住むように社会が構築されてきたと経緯もあるように感じます。先日採択された安保法制をめぐる議論では、国際社会における日本の国家、そして日本人の役割と関係性をどう構築していくかが問われました。社会として、そして国家としてのビジョンを考える中で、難民・移民の問題とどう向き合っていくかは避けては通れない道であるように思われます。